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| 農業機械化の変遷 |
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江戸時代となり、封建制度の確立とともに日本農業は新しい段階へ移行した。土地制度を変更せずに、反当り収量だけを増大させるために、品種改良と多肥農法が発達し、多収のためには労働はおしみなく投入された。
農業に機械力が利用されるようになったのは非常に古く、西暦1770年にジェームズ・ワットがスチーム・プラゥを発明し、これが耕起作業をしたのが最初といわれる。
わが国においては農作業はほとんど人力で行なわれていたため、機械の発達は欧米諸国にくらべて遅れ、明治末期に水田の揚排水にモーターとポンプが用いられたのが機械力利用のはじまりといわれている。
昭和初期より戦前戦後を通じ、家畜(主に役牛)を飼育して農耕、運搬(牛馬車)に用いた。田植期の耕起には一時に仕事が集中したため、牛を飼っていない農家へ賃耕又は田植など、手間代りとして相互扶助の実をあげた。又当時畑の農具としてカルテベーター(培土板)の利用は画期的で、桑園の中割や、除草には絶妙な成果をおさめた。
しかし道が狭く、排水不良で、耕地区画が狭小なため、大型の農具は普及しなかった。
当地方で耕起、整地、種まき、中耕除草、薬剤散布など機械が用いられるようになったのは、ほとんど第二次大戦後で、特に著しく普及したのは、昭和40年代半ば以降である。 |
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「豊橋市南部農協二十年史」より
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